展示
「土地に刻まれた傷跡:二・二八事件の遺跡-北部地区」特別展
真夜中の喧騒
更新日:
2021-06-23

会期:2021年2月20日(土)~2021年5月16日(日).毎週月曜日休館
開館時間:10:00~17:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:二二八国家紀念館 二階南翼/台北市中正区南海路54号
後援:内政部
主催:二二八事件紀念基金会、二二八国家紀念館
主管:社団法人台湾共生青年協会
はじめに
1947年に発生した二・二八事件は、台湾社会に決して拭い去ることのできない傷跡を遺しました。その事件の舞台になった場所や建物には、歴史の記憶が刻まれ、二・二八事件を知る手がかりを伝える「二・二八遺跡」となっています。
こういった遺跡には、公的機関の執務場所や一般市民の暮らしと密接な関わりを持つ場所、そして人々が実際に迫害を受けた場所があります。今回の展示では空間を軸に、公文書などの文献や口述記録で描写されている場所、建物、経路をたどり、点と線、面からより具体的に歴史的な事件の姿を繋ぎ合わせました。
二・二八事件に関連して起きた事件について、時系列と発生地点の2つの視点から3回に分けて展示を行います。第一回は戦後まもない1947年2月に事件が発生した台北市天馬茶房での闇タバコ取締り暴行事件から、同年3月1日の臨時戒厳令まで。第二回は台北市以西、淡水河以南の台湾北西部のそれぞれの場所において、台北で起きた事件を受け、各地の人々が時局への対応策を話し合い、集まって議論した場面。そして3月8日に国民政府軍が中国から台湾に上陸したのちに各地で展開された鎮圧作戦と掃討作戦の状況まで。最後の第三回は台北市以東の台湾東北部および台湾東部の宜蘭や花蓮における市民と政府との間で繰り広げられた出来事、特に基隆港での陸軍第二十一師団上陸後の機銃掃射、及び銃殺刑により多くの人々が死傷した場面を取り上げます。全三回の展示に登場する遺跡は、台北周辺から基隆、桃園、新竹、苗栗、さらには台湾東部の宜蘭、花蓮などに及んでいます。
第一回:真夜中の喧騒
展示期間:2021年2月21日~5月16日
1945年10月25日、日本の植民地だった台湾では、日本の敗戦により統治権力が日本から中国国民党率いる国民政府に移りました。多くの人々が、この日本とは違う見知らぬ「祖国」が、台湾の人々に新たな希望を与えてくれるものと期待していました。しかし、近代化された日本の統治を受けていた台湾の人々は、新政権の行いの一つひとつに驚きをもって直面することになります。不当な統治、汚職や腐敗、公権力の濫用などを目の当たりにし、人々の不満は日増しに高まっていきました。
1947年2月27日、暴力的な闇タバコ取締りによって人命が奪われ、積もり積もった人々の不満が爆発します。大稲埕での衝突が、翌日には行政長官公署前での衛兵による群衆への発砲に拡大。命からがらラジオ局まで逃げてきた人々が「全島放送」を通じ、行政長官公署前で起きた血の弾圧事件を台湾全土に伝えたことで、人々の国民政府への不満が一気に爆発したのでした。
第二回:銃声のその後に
展示期間:2021年5月20日~8月15日
3月1日、住民の代表らが闇タバコ取締り暴行事件の処理委員会を組織。翌3月2日には二・二八事件処理委員会と改組され、中山堂でさまざまな立場の代表者による会合を開催し、事件の平和的な収拾を目指しました。4日には台湾全土の17の県や市で処理委員会が組織され、状況は一見好転するかに見えました。しかしながら、各地で処理委員会が成立された同時期に、行政長官公署長官だった陳儀は中国からの派兵を蔣介石に要請していたのです。陳儀は、対外的には武力による鎮圧は行わないと表明していたにもかかわらず、一方では中央政府(当時は中国南京)に支援を要請し、台湾での兵力配備を進めており、事態は平和的に収拾できない方向へと進んでいったのでした。
第三回:島に響く挽歌
展示期間:2021年8月19日~11月14日
1947年3月8日、中国から台湾に派遣するために編成された陸軍第二十一師団が基隆港と高雄港から台湾本島に上陸しました。行政長官公署が二・二八事件処理委員会の解散を命じたことで、台湾各地の処理委員会地方支部で事態収拾のための議論に参加したメンバーや人々は、逮捕や粛清の対象になりました。軍部と警察が戒厳を画策し、軍を配備して鎮圧を進める中、多くの人々が不幸にして軍部と警察による無差別の虐殺や略奪に巻き込まれていきました。交渉や話し合いによる打開という希望は踏みにじられ、事態は国民政府による武力鎮圧へと突き進み、台湾という島に虐殺と銃殺刑という痛ましい記憶が刻まれたのです。
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台北市公会堂|中山堂
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台湾省参議会|二二八国家紀念館
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天馬茶房|南京双子星ビル
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港町派出所|台北市政府警察局刑警大隊档案ビル
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台北市警察局|台北市政府警察局
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台北憲兵隊|憲兵指揮部台北憲兵隊
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台湾省政治建設協会弁公処|統一名廈
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太平町二丁目派出所|台北市大同分局延平派出所
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専売局台北分局|彰化商業銀行台北支店
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専売局総局|台湾菸酒股份有限公司総部
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台湾省行政長官公署|行政院
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郵政総局|中華郵政台北北門郵便局
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鉄路管理委員会|国立台湾博物館鉄道部園区
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人民導報社|撫台街洋楼
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台湾新生報社|新生報業広場ビル
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台湾広播電台|台北二二八紀念館
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台湾省警備総司令部|国防部後備指揮部
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保密局台湾站站長林頂立住宅|ホテルリバービュー台北(豪景大酒店)
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基隆要塞司令部|基隆要塞司令部
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元町派出所|基隆東岸広場
戦後、国民政府が台湾を接収
1945年、第2次世界大戦が終結すると国民政府は台湾を接収(一時的な軍事占領)し、行政長官公署と警備総司令部を置きました。行政長官公署は民政を、警備総司令部は軍政を担当し、同時に情報機関(軍統局、中統局)も台湾に置かれました。同年10月25日、台北市公会堂(現在の中山堂)で「中国戦区台湾省降伏受諾式典」が開かれ、台湾の統治権が移行されました。しかし、これが二・二八事件の悲劇の始まりになりました。
戦争の終結および統治者の交代は、台湾人にとっては植民地から解放されることへの期待であり、政治と経済、生活が一新することへの希望でした。そのため、人々はこぞって地方自治に参加したのです。1946年4月15日、各県や市の参議会から30名の参議員が選ばれ、台湾省参議会が組織されました。戦前から台湾に住む本島人が大多数をを占め、それ以外は日本統治時代に台湾から中国に渡り、戦後に台湾に戻ってきた「半山」でした。省参議会は当時では珍しい台湾人主体の政治機関でした。
台北市公会堂
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