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228事件責任帰属研究報告

CONTENTS

編集者のことば

序文

新書発表および座談会挨拶

第1 章 責任明確化は社会正義実現への第一歩

第2 章 事件の発生と台湾が被った痛手

第3 章 南京政策決定階級の責任

第4 章 台湾の軍政階級の責任

第5 章 事件に関係したその他の人々の責任

第6 章 228 事件虐殺行為の刑事責任

第7 章 結論

第6 章 228 事件虐殺行為の刑事責任

陳志龍

 

 228 事件は1947 年の発生以来現在(2006 年)まで、 既に59 年が経過している。台湾の刑事司法の実務家たち は228 事件に所謂「刑事責任」は無く、所謂「元凶責任」 も無く、また所謂「犯罪行為」も無いと考えているが、 これは当然国内の思想状況と大きく関係している。これ までの「固定観念」を打ち破り、「人権」思想の啓蒙を経 てこそ、228 事件の「刑事責任」の問題へ立ち戻ることが 可能になるのである。

 

 「権力者の立場」から事件の本質を見ると、それは 正当化された行為であり、純粋に「行為の本質」から事 件を観察したものであって、「平等の原則」の観点から加 害者と被害者を対処したものではない。こうした観点を 持つ法律人は、民主時代の憲法が要求する「人権の保障」 という思惟が甚だしく欠乏していると言える。

 

 司法改革は、まず「人権思想」による啓蒙に立脚す べきであるが、台湾の司法改革は法律人が当然なすべき 「人権に関する思惟」をいまだに行っていない。所謂司 法改革における本質とは、司法の「自由化」、「理性化」 であり、それこそが鍵となるべきであるのに、司法改革 中これまで、改革のポイントして「司法システムの理性 化、自由化」が提唱されたことはない。

 

 もし台湾が228 事件の刑事法律責任を検討しないと 言うならば、台湾政治においては「政権交代」が行われ たものの、過去の「強権国家」の「政府犯罪」に対し、 これを顧みなかったり、検証しないのは民主法治国家の 正道ではなく、これで法治と言うのであれば風刺的です らある。逆に、もし台湾の法曹界が228 事件の刑事責任 について深く検証するのであれば、台湾は「人権保障」 が成された法治国家にふさわしい刑事司法を行っている と言えよう。そのゆえに、台湾の法曹界が228 事件に関 連する法律問題を真剣に討論できるか否かは、台湾が「民 主的法治国家」或いは「非民主的法治国家」であるかを 分かつ重要な指標であると言える。

 

 「生命権の保護」という法律価値システムの重要性 とこれに関する検討は、台湾の刑事司法実務の重要な任 務である。今日まで、国内の刑事司法実務は228 事件に 関わる行為や行為者、被害者、証人について能動的且つ 持続的な調査や証拠保全、情報収集活動を行ってこなか った。

 

 具体的には、もし刑事司法システムが「228 事件元 凶の責任追究」の具体的プログラムを展開出来れば、「人 権保護の確保」が可能になる。

 

 228 事件は、一般人による犯罪ではなく、「絶対的 権力」を擁した統治者による行為であり、政府自身が犯 罪者なのである。このような犯罪は所謂「政府犯罪」( Regierungskriminalitat ) と呼ばれる。

 

 政府機関が犯罪者である場合、当該統治者の権力以 上の実力を持つ者がいて、はじめて対抗可能となる。こ れもまた政府犯罪を訴追する上で直面する困難な点であ る。

 

政府犯罪と一般犯罪( 非政府犯罪) との差は、政府 犯罪の行為者が統治権力の掌握者であり、行政、立法、 司法等の権限をも包括する点にある。しかし時には法の 枠組みを超えて、国家権力を濫用したり、公権力に働き かけて恣意的行為を行うことがある。暴力を伴う恣意的 行為か経済的な恣意的行為かに関わらず、「政府権力の濫 用」と密接につながっており、これも「政府犯罪」の特 色である。

 

 政府犯罪は権力濫用を伴う。その規模は一般犯罪と 比較することはできず、訴追されない特権を有する。政 府犯罪には以下のような特色がある。

第一、犯罪行為者が政府権力を有する。

 第二、政府犯罪は公権力による犯罪行為であり、国 内ではその絶対的権力により優位に立つ。

 第三、政府犯罪は、唯一犯罪者が政権を追われた時 にのみ訴追を受ける可能性が有る。

 

 次に現行刑法の時効の解釈問題について論じる。殺 人罪については公訴時効を規定しているが、その対象は 「一般犯罪行為」に限られている。時効の成立は刑事司 法機関が一般犯罪行為者に対し「訴追可能な時期にそれ をしなかった」状況を指す。

 

 しかし「政府犯罪」の特性から見るに、当該政府が 依然政治権力を有する場合、司法機関は政府犯罪の行為 者に対して「訴追可能にも関わらず訴追しない」のでな く、「訴追できないため訴追しない」のである。つまり 「公訴時効」の主旨に一致しない状況であると言える。 何故なら訴追権の時効の示すところは、「訴追可能な時」 を時効成立に向けた起算点とするが、政府犯罪は「訴追 不可能」の状況であるので、いかなる時効も成立しない からである。

 

 我国の刑法における公訴時効に関する規定では、殺 人罪についても依然時効が認められており、この規定は 「生命権の保護」に抵触しているように思われる。刑法 の時効規定条文を修正することなく、228 事件の虐殺行為 の訴追を考えた場合、「統治権力に関わる現実的な問題」 に突き当たる。「統治権」が存在する場合、刑事司法機関 は「政府犯罪者」の訴追が全く不可能であり、「訴追可能 にも関わらず訴追しない」という状況であるとは言えな い。言うなれば、この状況下では訴追の可能性すら存在 しないため、時効は起算されていないと考えるべきなの である。

 

 また、民族虐殺の訴追については、法的手続きに入 ることが、誰が犯罪行為者であるかを明確にする助けに なり、行為者以外の外省人が冤罪を被らずに済むのであ る。

 

 228 事件における虐殺行為の刑事責任検討は次の3 つの重大な意義を有する。

 

 1. 事件の再発防止

 2. 人権に関する啓蒙と人権思想に基づく司法の遂行

 3. アジアの強権的政治に対する警告

 

 アジアでは未だ強権的政治が横行しており、武力 鎮圧をもって騒乱の解決を図るケースや、甚だしきは血 で血を洗う方法をも排除していない。例えば、「流血を 伴った天安門の手法」は、アジア政治における悲劇であ り、地域の民主化、理性化の流れにおいて、負の指標と しての意義を持つ。アジアにおいて「人権の普遍性」 ( Universalitat der Menschenrechte ) を浸透させることは急 務である。ある文化的伝統の下では「人権の実現」 ( die Realisierung von Menschenrechten )は比較的容易であるが、 別の文化的伝統の下では困難を伴う。しかし、「人権の普 遍的価値」が広く認められる中、人権そのものと人権の 実現を相互に無関係なものとして、ないがしろにしては ならない。「哲学上の人権問題」は欧州における古い問題 ではあるが、現代欧州の人権思想の実践、そして「人間 の尊厳」の確立とその実現へ向けた実践は、ヨーロッパ 人たちの「専売特許」ではなく、アジアにおいてもなし うるし、またなさなければならないのである。

 

(陳志龍は現国立台湾大学法律学科教授、財団法人228 事件紀 念基金会理事)

 

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