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228事件責任帰属研究報告

CONTENTS

編集者のことば

序文

新書発表および座談会挨拶

第1 章 責任明確化は社会正義実現への第一歩

第2 章 事件の発生と台湾が被った痛手

第3 章 南京政策決定階級の責任

第4 章 台湾の軍政階級の責任

第5 章 事件に関係したその他の人々の責任

第6 章 228 事件虐殺行為の刑事責任

第7 章 結論

第3 章 南京政策決定階級の責任

陳儀深

 

 1945 年に中日戦争が終結し、1946 年5 月に国民政府 が重慶から南京へ戻る際、東北地方では国民党と共産党 の軍事衝突が熾烈化していた。内戦の原因の1 つは南京 政府の統治正当性への挑戦であり、国民党は渋りつつも 同年12 月25 日に中華民国憲法を通過させ、1947 年1 月 1 日に公布、同12 月25 日に施行した。228 事件はこの政 治改革の終結間際、間もなく憲法が施行されるという時 期に発生した。

 

 国民党総理孫文の五権憲法理論は国民政府制度設計 に影響を及ぼした。訓政時期(南京国民政府が統一完成 後1928 年-1947 年の間)、監察院による多くの官吏に対 する糾弾、弾劾は止むことがなかった。監察委員の丘念 台は「陳儀は将来必ず災いをもたらす」と言い、福建台 湾監察使の楊亮功もまた戦後台湾の悪政に対する現地視 察並びに南京政府への報告を行い、国防最高委員会は劉 文島を台湾に派遣し「清査団」を以って業務を行わせた ものの、長官である陳儀は蒋介石の深い信任を受け何ら 影響を受けることがなかった。228 事件の勃発を待って、 南京国民党第6 期第3 回中央委員会全体会議で3 月22 日、劉文島等55 人の連署提案が通過され、陳儀の「免職 ・調査処分」が決定されたが、蒋介石の持つ総裁特権によ りこの議決は取り消された。

 

 228 事件処理委員会は3 月7 日、32 条(一說では42 条)の要求提出と同時に、「台湾政府が全ての責任を負う べきである」と明示し、当時上海に居た台湾人団体も直 接陳儀を「悲惨な事件の元凶」とした。しかし、当時の 情勢による制約があり、台湾人側代表が期待できるのは 南京政府に万事解決してもらうことのみで、事件の責任 を南京政府にまで遡らせるものではなかった。具体的に は国防部長白崇禧を台湾に派遣し「慰労」させるという ものだったが、白崇禧は3 月17 日の来台後急速に陳儀側 に近づき、白が提案した褒賞名簿はなんと無差別殺戮を 行った高雄要塞司令官の彭孟緝、基隆要塞司令官の史宏 熹を含むものであった。当時の参謀総長陳誠と比較する と、陳誠はなおも台湾の状況には戒厳令法第14 条(第9 条ではない)の規定のみが適用されるべきで、非軍人身 分の者が軍法裁判にかけられるべきでないと注意を喚起 している。こうした違いは統治階級の人権観念、価値判 断が事件の深刻性に影響していたことを示すもので、責 任問題にしても一概に論じるべきではないのである。

 

 我々は国民政府主席の蒋介石が台湾228 事件に対し て最大の責任を負うべきだと考えている。理由は上述の 監察委員による事前の警告情報無視以外に、事後陳儀を 庇い、その上台湾省軍政上級指導者が一人として事件の 処罰を受けることがなかったためである。更に、事件発 生後程無く、人員移動配置のために陳儀が3 月13 日に蒋 介石へ宛てた手紙では、「今回の事変は閣下の迅速な派兵 が望まれます。その変遷は考えるだに恐ろしい」と書か れていた。蒋介石は党、政府、軍、特務機関及び台湾人 団体の代表等各方面からの情報を掌握しつつ、迅速な軍 隊派遣を決定し、21 師団を編成した師長劉雨卿の召喚と同時に彼に600 丁の拳銃を渡すなどして、事件を一層悲 惨なものにしたのである。

 

 228 事件と関係する大渓ファイルには、1947 年2 月 10 日から1948 年6 月4 日まで計99 件の書類があるが、 全てが蒋介石と陳儀、保秘局、中統局、葉秀峰、劉雨卿、 陳誠、白崇禧、桂永清、何漢文、魏道明、彭孟緝、呉鼎 昌、于右任、謝冠生等といった党や政府、軍、特務機関 及び監察司法関連人員らの往来書簡であり、蒋介石の事 件介入の奥深さ、関与面の幅広さを察するに十分である。 故に最高指導者は当然の如く不幸な事件の最大責任を負 うべきなのだ。

 

 2005 年2 月という今、特に1947 年3 月6 日に陳儀 が蒋介石に宛てた派兵依頼書簡の内容に注目せざるを得 ない。迅速な軍隊派遣を台湾に求めた理由が「台湾を中 華民国台湾として維持するため」だったからである。陳 儀の台湾での政治任期はあと1 年残っており、政治・経 済・社会・教育各方面で、台湾と中国を結ぶ困難な問題 に彼は相当敏感であったに違いない。ただ、彼も当時の 国民党政府指導者階級の思考様式、行動パターンにとら われ、誤った処方によって悲劇を引き起こしてしまった。 この誤りが今に至るまで影響を及ぼし続けているのであ る。

 

(陳儀深は現中央研究院近代史研究所の副研究員で、財団法 人228 事件紀念基金会理事)

 

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