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228事件責任帰属研究報告

CONTENTS

編集者のことば

序文

新書発表および座談会挨拶

第1 章 責任明確化は社会正義実現への第一歩

第2 章 事件の発生と台湾が被った痛手

第3 章 南京政策決定階級の責任

第4 章 台湾の軍政階級の責任

第5 章 事件に関係したその他の人々の責任

第6 章 228 事件虐殺行為の刑事責任

第7 章 結論

第2 章 事件の発生と台湾が被った痛手
黄秀政

 

 1947 年2 月に台北市で勃発した「228 事件」は、戦 後台湾の歴史発展に極めて深遠な影響を与えた不幸な事 件である。事件発生の背景に関する議論は、複雑に交錯 している。まず長官公署体制の特殊性である。行政長官 が行政、立法、司法、更には人事、監督権を擁し、その ため台湾に於ける独断的かつ無制限の権力を一手に握る ことになり、加えて台湾全省の警備総司令官の兼任によ り、軍政権力が一極集中する特殊な状況を形成した。こ の体制公布後、間違いなく多くの台湾籍人民が大きな失 望を覚えた。また、この体制が台湾で実施されていた間、 人々は絶えず国民政府高層に長官公署の廃止及び省政府 制度の回復を提案し続けたのである。

 

 その次には政治的権力の独占及び不正行為の横行で ある。当時、中国大陸出身者が政府の重要な中・高級職 務を独占し、各種血縁政治、私利の追求、法の曲解・収 賄等不正行為を行ったこともまた228 事件の重要な原因 と考えられる。第三には、経済統制と人民の生活苦であ る。陳儀とその接収グループは経済統制政策を採用して 物資の管制、金融独占、物品専売を行ったが、その結果 民衆が失業し、人民が飢えに苦しむ状況となった。第四 に社会動乱と文化的な隔たりである。部分的に台湾にもたらされた軍警紀律が崩壊し、軍と警察が権威をふりか ざし権力を濫用したことに加え、統治者と台湾民衆文化 との隔たりが原因で衝突や対立が起き、治安が悪化して 暴動事件が次々に発生したのだ。

 

 事件は国民政府の鎮圧と説得の中、迅速に終焉した が、この事件の台湾に対する痛手は深く、その影響は量 り知れないほどであった。まず台湾人に心理的な打撃を 与え、長期間政治に対する恐怖と拒絶を招いたのである。 この事件の前後、政府は粗暴な武装鎮圧を行い、公に或 いは密かに銃殺するなどして台湾人の抗争行為に報復し た。特に軍警当局は街頭で非情に掃射発砲を行い、罪の ない大勢の民衆を死傷させた。地方の安寧を保つとした 農村討伐行動中では、憚ることなく民衆を逮捕し、地方 にパニックを引き起こした。事件後、政府は更に敵対者 に濡れ衣を着せ、虚偽の罪に陥れる等の方法により、人々 に危機感をもたらし、政治の話を避けさせ、台湾社会に おいて、長期にわたって白色テロのムードを充満させた。

 

 その次にエリートたちを断絶させることで、地方政 治状況に影響を与えた。228 事件の発生期間中、陳儀と軍 部及び警察が計画的な逮捕を開始したため、多くの地方 名士または知識階級ら台湾社会のエリートたちが次から 次に暗殺或いは冤罪により獄死させられたのである。事 件後、台湾全土の各県市参議員の本土エリート構成には 激しい変動が起こり、8 割の地方名士が政治領域中から消 失するなど、人材の断絶が起こった。これらの欠員を埋 めたのは、当局に追随する政治の成り上がり者であり、伝統ある地方名士という社会的地位に取って代わっただ けでなく、地方政治権力と経済資源をも独占し、地方本 来の政治状況を一変させた。第三には、国民党に有利な 一党独裁体制が民主政治発展を妨げたことである。戦後 初期、陳儀ら統治グループ及び国民党と台湾地方社会と の間には明らかな隔たりがあったが、228 事件を通じて一 気に本土勢力を弱めたほか、本土エリートの断裂をもた らすとともに、国民党グループ内の派閥闘争を進めたの だ。1949 年8 月、国民党政府の台湾への撤退後、国民党 総裁の蒋介石は大陸喪失の原因を検討したところ、党内 の派閥問題と相当に関係があるとし、党内で重大な改造 を行った。様々な方法を通じて中央及び台湾の従来の派 閥勢力を取り除き、改めて自身の集権的地位を確立した のである。両岸が対立する局面において、中国はいつで も台湾を侵犯しかねない脅威であった。このため臨時戒 厳令を宣言して、高圧的な統治方法でニュース、言論、 集会等の自由を制限し、軍警当局の情報管理での優位を 利用して、異議を唱えた者を監視、逮捕し、台湾社会を 長期にわたる白色テロの強権統治下に置いたのだった。 第四には族群(エスニック・グループ)間の隔絶が深ま り、台湾の文化的発展を阻害したことである。228 事件勃 発には、陳儀政府の汚職腐敗が関係人民の恨みを買った ことのほか、族群間の衝突も関わっていた。族群間の誤 解と対立もまた228 事件を誘発したため、事件の終息と 安定回復にも関わらず、族群間の隔絶が一層深まり、台 湾社会文化の正常な発展に影響を及ぼしたのだ。特に事 件後、台湾社会のエリートたちが当局の迫害と打撃を被って日に日に凋落し、政治的影響力が弱体化しただけで なく、台湾文化伝承の断裂も起こった。加えて中央政府 が台湾への撤退後、政権の正統性確立のため、伝統的な 中国文化を道具として、政府機関或いは学校教育を可能 な限り中華文化の復興運動拡大のために利用したため、 社会全体に大きく中国の影が溢れ、日常生活を伝統的な 中国的道徳、倫理文化の中で過ごすこととなり、台湾本 土の歴史文化の軽視、辺境化が発生した。この種の不公 平な状況は1987 年7 月の戒厳令解除まで続いたが、本土 意識の高揚に従って、台湾本土の歴史文化は当然重視さ れるようになり、状況がやっと改善されたのだ。

 

 歴史とは一枚の鏡のようなものである。所謂「前事 を忘れざるは後事の師なり」である。前述の通り「228 事 件」は確かに台湾戦後史上、極めて不幸な悲劇である。 如何に事件の傷を早期に治癒し、台湾2300 万の国民が事 件の影から抜け出すか、また、台湾ができるだけ早く正 義ある平和社会を成立させ、不幸な悲劇を永遠に再発さ せないことこそ、我々がしっかり考えていくべきことで あり、且つ共に直面すべき重要な課題なのである。

 

(黄秀政は現国立中興大学歴史学部教授で、財団法人228 事件 紀念基金会理事)

 

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